色のすること「接触」

2017年6月 大阪 LADS GALERRYさんにて開催

 

個展 色のすること 接触  

http://shiho-ueda.com/4328

 

 

 

わたしにとってのとても真ん中を発表できる機会であり、初めてきちんと向き合った'黒'たちの登場でした。

この展覧会に、精神科医の湯澤美菜さん  スパイラルガーデン ギャラリー担当 倉持陽介さんがテキストを寄稿してくださいました。

自身ではことばにできなかった輪郭に触れてくださり、こころより感謝を込めて。ここにご紹介させてください。

 

 

                                            植田 志保

 


 

植田志保が描く作品の中で、「色」は意志を持った生命体の様に画面の中にたゆたう。

 

これまで植田は、日常や森林の中に溢れる光の粒子や雫、樹木、花々をモチーフに、 「色」の有機的な動きを捉えた作品群<色のすること>を発表してきた。 また、花についての対話を通し、個人の記憶に潜む「色」を顕在化させる、 対話型ライブペイント<In a Flowerscape>をライフワークとしておこなっている。

 

これらの活動を経て、植田は「色」が発する声に突き動かされるような制作スタイルから、

能動的に「色」と対話し、よりロジカルに「色」を扱うインテリジェンスを獲得しはじめている。

それは音楽家が五線譜に音符の抑揚でリズムを生み出すように、建築家が土地を読み取り構造化していくように、「色」が発する言葉を理解した上で、全体のバランスと必然性によって「色」を描き出す、彼女独自の「色」の哲学と、画力を身につけ始めているのである。

 

いまの植田が描く作品は、鑑賞者に「色」の個としての存在の強さと、「色」同士が接触することによる 無限の多様性を感じさせてくれる。私たちの日常を圧倒的な速度と量で押し流していく情報のなかで、 失いつつある「色」を感じる感性を改めて示してくれることが、彼女の作品が支持される理由でもあるのだろう。

 

自分の「色」をどう社会の中で存在させられるか、他者が放つ「色」とどう付き合っていくか。

誰もが持つこの問いに対し、「色」に寄り添い対話を重ねてきた植田の作品を観ることは、

自分のその時々の「色」に意識的になり、他者の「色」の意志と交わることを恐れないことによって、 多様性のなかでしなやなかに共存できることを教えてくれる。

 

植田は本当に世界を変える、一人のアーティストになり得るかもしれない。

 

「色」と共に進む、彼女の行く末が楽しみでならない。

 

スパイラルガーデン ギャラリー担当

倉持 陽介

 


 

 

 

 

人との御縁は作為ではどうしようもないもの、このような形に着地していることは本当に有難く、感謝の一言につきます。

植田志保 色のすること

色は、様々な波長の光と、それが照らす物体により、私たちが見ることができる刺激です。一色ずつのみでなく、グラデーションやコントラストなどの集合体としてもまた別の複雑な価値が生まれます。もう一つある色のユニークな特徴として、概念と強いつながりがあることが挙げられます。私たちの心の中にそれぞれの色がどのようなものかの認識がしっかりとありますが、色自体を思い出す時、それは形を伴いません。このように考えると、色は周りに当たり前のように溢れていますが、とても不思議な存在です。

また、そのような、形を持たない性質のせいか、顔色、声色、音色などのように、感情や精神といった、感じることができるけれど見えない刺激の表現としても用いられています。例えば、「色即是空」という仏教の考えは、この世のすべての事象は関係性や縁によって成り立ち、何事もつながりから隔絶されることなく、無常の流れの中で存在するというものです。この中で、形を持たずともはっきりと感じ取ることができる性質を持つ色が、すべての事物を表す言葉として用いられています。このような普遍的で本質的な、難儀なものの例えでさえ、色は存在そのもので教えてくれます。

色の世界は、この世界の如く果てしなく広がり、一部にも全体にも、未来にも歴史にも、瞬間にも永遠にも、私たち人間の思いやストーリーを全て受け入れながら寄り添っています。

植田志保は、そんな色の世界と強くつながり、色のすることという活動をしています。色に着眼点を置いた彼女の作品は、まさに色即是空のように、気配や流れ、精神の動きを感じさせる無常の瞬間の切り取りのように感じられます。丁寧で素直なエネルギーがよどみなく溢れ、まるで色がこちらに世界を開いてきたように。

そんな、見えるようで見えない、感じるようで味わい尽くせない、掴めるようで実体が掴みきれない色の世界を、植田志保の作品を通して少しでも身近に感じられたら、とても嬉しく思います。

2017/06/27

<English>

Shiho Ueda   What colors do

Color is everywhere and such mysterious.

First of all, when visible wavelength lights objects, color is recognized through our eyes. When we see color, not only one color means, but also multiple colors does with complicity with gradation or contrast. Another feature of color is the strong connection with its concept. Although we have certain image of what each color is, it does not have a shape in our minds.

Because of this intangible feature, in Japanese we write ‘color’ as ”色:iro” for the expression of face “顔色:Kao-iro”, for the tone of voice “声色:Kowa-iro” or for a sound “音色:Ne-iro”. They are sensible but invisible stimulus including emotional meanings. Here, as another example, there is a Buddhist lesson “色即是空:All is vanity, matter is void.”. It teaches us that universal transient linkage is the basis of any phenomenon and no matter is isolated from this principle. In this lesson, we allocate color “色” for any phenomenon. Color can express even such universal, essential, and difficult rule.

The world of color is infinite as this world, and supports human society partially or whole, from the past to the future, for a moment or eternally by accepting our thoughts and stories.

Shiho Ueda has been strongly connected with the world of color, and it is named “what colors do”. Her artwork focusing on colors seems as cut-off moment including subtle hints of emotional current, which reminds of “All is vanity, matter is void”. Gentle and honest energy flows in her artwork as the world of colors gets closer.

It would be greatly appreciated if you feel the world of color is closer through Shiho Ueda’s artwork.

2017/06/27

 

 

 

 

接触という現象は、抽象的で刺激的で、人間にとって本質的な内外の関わりの意味も含まれており、まさしく今の植田さんそのものが掴んだテーマであると感じました。

 

 

接触というテーマに添えて

他者と接触する時、私たちは、日常的な社会生活の中で様々な混乱を体験します。

それは、言葉の定義と同じく、物理的な意味と精神的な意味の違いがあるためかもしれません。接触という言葉は、物理的には、お互いに触れ合う接点があることを示します。しかし、人の心や文化、歴史、自分自身などが対象となる精神的な意味としては、接点自体よりもむしろその境界線を超え、お互いが混ざり合って干渉し、その結果として何がしかのうごめきや変化があるような、新しい広がりを含めた意味を持ちます。

他者との関わりの中でのふとした物理的な接触が、精神的な接触にどの程度迫っていたかと思いを馳せると、接触以前の時空間にすら特別な色彩が浮かび上がってきます。接触後にあれこれと想起しコミュニケーションが変化していくことも含めれば、私たちにとって接触がもたらす内外への影響は甚大です。

また、幾多の外界との接触が蓄積されると、同時に自分自身の内界との接触も次第に深みを増していきます。新しい視点でより可能性の開かれた外界と接触することと、より多く、より深く自分の内界に接触していくことは、繊細かつダイナミックな接触の作用が幾重にも積み重ねられた結果とも言えるでしょう。

接触の質感、流れ、作用。

今まで知らなかった植田志保の掴む世界との、そしてあなた自身との接触を問いかける作品群が展示されています。

2017/06/27


artscape 小吹 隆文 さんより

http://artscape.jp/report/review/10137693_1735.html







久しぶりに

絵や目でみることを表現しているのだから、言葉は控えるのが筋、みたいに

いつ頃からか思うようになっていてここのブログもお知らせのみにしていたけれど。

一体、自分を捉えてしまうのは、いつも自分なのだった(!)

「浅い川も深く渡れ」という諺が、わたしのささいな出来事にも目から耳から口から...体感としての

色や形をおおいに感受していくめんどくさくもある体質に、すごく励まされています

全体から、ぐんと感じては、ごーんと考察を重ねてもいいのだと。

感受している入り口が全体全身である場合、表現していく出口は、かたくなに、絵や目だけでなくてもいいやんね

だって、バランスが悪いもの(!)

これを書いている今日は、締め切りがみっつあって、それぞれにまだ終わっておらず

一旦、休憩して風通しをよくせねばと思うけれど、熱量が冷めやらぬで物理的にシャワーを二・三回浴びたり。

ほやーと通り過ぎていく言葉たちを

始めに書いたような理由から、なかったことにするのかと思うと

それは、この時間を過ごすことを良しとしてくださってた誰かや誰かや誰かに申し訳なくなって、

久しぶりに。このブログをこしらえてくれたひとのことも思い出す。

わたしはあんまり輪郭的な自覚のないまま、びじゅつさっか として今お仕事をしているのが正直なとこなのだけれど、

知らず知らずのうちに、いろいろな方が根っこの伸びる場所をこしらえ、時に厳しい出来事を用意していてくださったのだと

気づく瞬間がいくつもあって。

やっぱり、どこまでも感謝に尽きるのだけれど、だとしたら、そろそろわたしは色が教えてくれた本質を

わたしは人間という母体をもって、とうとう表現していく頃になったのだ、という予感?







みずいろのこえ movie




https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=upKOBCvWIxY

ぜひきいてみてください

音楽= 小木戸 寛(tokyo blue weeps)















みずいろのこえ レビュー


展覧会の、「色のすること」の、レビューなる視点をいただき
ここに。



- Teruyuki Takemuraさんより

場所: CASE GALLERY 3月28日 20:17 ? 東京都 渋谷区 ?


代々木のCASE GALLERYにて、植田志保さんの展示を。最終日滑り込み。 http://shiho-ueda.com/3802 おもしろかったー。 いろんな色が、嬉々として戯れるこの感じ。 画面いっぱいにかなりたくさんの色が使われているのに、そのどれもがケンカしてない。にじみはあっても、よどみはない。 どういう技術なんやろうと不思議に思って聞いたら、「いろがよびかけてくる」んだと。 きょう初めてお話ししたけれど、植田さんはこういう感覚的なことばに全く衒いや嘘がなくてまっすぐ。素直に納得してしまった。 作家のエゴで構図や配色を押し付けるのではなく、いろと対話してうまれる、自然発生的なフォルムやカラーに身をまかせること。
ぼくは植田さんを初めて見たのがライブペインティングで、その時の素晴らしさに打ちのめされたのだけど、人前でやるかどうかにかかわらず、植田さんの創作は基本ライブやねんて。一回性を重視して。生まれ出た色は、決して消さない。 「生まれたいろを消すことは自分にもいろにも嘘をついてるみたい。だから予期しない色がうまれでたら、それはチャンスでありチャレンジ。そこからはそのいろが良くなるように描きつないでいく。」どこまでもやさしくてしなやかな姿勢で、色づいた画面と遊びながらイメージをどんどん拡張していく。

きょう改めて思ったのは、植田さんがつくろうとしてるのは、絵画でもオブジェでもなくて“いろの動きや作用そのもの”なんやということ。空間と時間の中に不定形にたゆたういろそのものを、カンヴァスや布地に定着することでなんとかぼくらの目の前に提示してくれてる。けど、多分ほんまはそれはもっと自由。 だから、逆にカンヴァスや布地だと少し不自由さを感じてしまう。ほなどうしたらええのか、帰り道考えたけど答え出ず。
会場のCASE GALLERYの建物、空間とのマッチングもすごく良かった。建物全体が、色彩の繭みたいになってた。








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2015.小木戸寛さんとおこなった
ライブペイントについても。



- 植田志保さんの展示@新宿伊勢丹のオープニング、ライブペインティングを見てきた。 http://shiho-ueda.com/2748 いやー、いいもん見た。 絵が、というか色が立ち現れていく過程を見る、というのはこんなにおもしろいんやなぁ、と唸りながら見てた。 1枚の絵を完成に向けて仕上げていく、というよりも、一瞬一瞬立ち現れる色と対話しながら何枚もの作品を見せてもらう感じ。 出来上がりを見ただけではこれは絶対わからない。 抽象的だけれどもラストに向けてしっかりカタルシスも用意されていて(とぼくは感じた)混沌だけじゃない、まるでポストロックのバンドの即興演奏を聴くときみたいに最後の方テンション上がった。 見た目やさしくかわいらしい印象に見えるけど、過程を見てると実は力強い。描くアクションが、とかじゃなくて色の置き方混ぜ方とかが。 展示もいいです。オススメ。













takemuraさん、ありがとうございます。






桜の



漸々

桜がついに咲きはじめて
春の気配はくっきり輪郭がみえはじめてしまとた
桜はみていられない何故か

外見を、例えば髪の毛とかを何かを真っ白とか金銀いろにしたりしないと調和してない気がしたりしておかしい。春と自分は、似すぎているのかもしれない


上弦の月のよる、EdTSUWAKI さんの個展最終日 丹波篠山での陶芸の絵たち、肌だった
ちょうど一年前はその篠山rizmで 小木戸利光さんと田中真由美さんとパフォーマンスの日だったと合宿を思い出してお山にお二人に会いたくなる。今回Edさんの作品台の25°がやさしくて、つくられたのは、私もCASE個展で設営等お世話になった宮本洋平さんでした。感覚を定着してくださる稀なかた。



渋谷 Gallery38 に、ステファニー・クエールの個展 「URBAN JUNGLE」を観に。
突き抜けていて、気持ちがいい
寡黙などうぶつたちに問いかけられているよう
展示もチャーミングな場面もあってのびやか

_' ニワトリたちはエントランスに集い、猿の群れは騒がしく走り回り、大きなオスのオラウータンは木の幹に腰かけ、彼には理解できないような異世界をじっとみつめていますが、その瞳はまるで全てを見透かしているようです。カエルや鳥、うさぎ、リスのような、私たちがつい擬人化してしまうような小さな動物たちは、日用品の中に我が物顔で巣を作ったり、眠り込んだりしながら、私たち人間が作った世界の秩序を逆転させています。'_




ここ数年 シンクロ率がいろんな場面で高まって、身体がぴりぴりしてる 過敏になりすぎないように注意がひつよう




きょうは、いよいよ 歌手の半崎美子さんのメジャーデビューだ
お友達で同士でもあって、そわそわとぐっとした気持ちの在りようが高まって、なぜか眠れかった。
今夜は声を聴きにいく


陽気な気温のなか、かろやかにお仕事をやってやってやっているようだけど
やっぱり、毎回おおごとすぎて大変ではあるけれど、きょうも色々をあいしています

たのしむのだ


個展の搬出のときに
撮ってくださった
いつも眠そうだけど、ちゃんとみてる






みずいろのこえ

色のすること みずいろのこえ




展覧会・大阪iTohen_東京CASE GARELLY おかげさまで会期は終了しました。 足をお運びくださったみなさま、気にかけてくださったみなさま、スタッフのみなさま、 誠にありがとうございました。












- これまで自分の観念による色のなまえや作品を制作してきたところから、一歩距離を置き(私自身もいろ自身になって生きてしまっていました ;)、全体を既存の色へ向かって取り組みました。 街で発表するならと、生まれ育った山のこと、自然をみつめるなか営みやすがた祖父母から教わったことを束ねお届けしたいと''みずいろ''に託して、白黒できない中間色のふくらみの表情を、声を、一連の作品にしました。 じっと立ち止まってみてもらわないと目につきにくい、ぐっと耳をすませてもらわないと読み解けないような、曖昧であまりにあいまいなみずいろのこえだったとおもいます。 そんななか、みてくださり何かを想像してくださったりしたことが心底嬉しかったです。 ずっと、こころの真ん中にあり支えてもらったのは、ピー・エヌ・エヌ新社出版の、Leonard Koren著 「Wabi-sabi 」でした。吉田知哉さん、森岡督行さん、とってもありがとうございます。 作品に合わせて流れるお水のような音楽を制作してくださった小木戸寛さん、前後左右をまるっと包んでくださりました。 これからは自らの井戸をでつつ、おこないをつづけていけたらと、人間としても思っています。

日本人として、日本で起こる事象を、自然のなか、又は人のあいだで、街で、あらゆる闇にも向き合いながら、ひかりをその美しさを、より一層みつめていきたいです。
この冬は、ほんとうに苦しいときが多く、実際に胃から血が出ているようなあんばいでした。


なにかを継承してもらったような、
こころ改まる時季でした。

この「色のすること」を喜んでもらえたり、励みにしてもらえるようならば、
各地へ行って、または
何かを包めるイラストレーションのお仕事にも、ますます励みたいと思っています。

すこしつづ、あたたかくなった頃にいらしてくださるみなさんにお会いできたこと、時間を共有させてもらったことまた励みに。
色と対話し、一緒にすすんでいきたいです。
いまは、6月末より LADS GARELLYさんにて少し規模のおおきな個展の開催にむけて準備も大詰めています。 一先ず、たくさん、みずいろたちのことを ありがとうございました。! Photo=Yuichiro Tamura QG&S





たのしいお写真も。










2017



初春のお慶びを申し上げます
博文館の三年連用当用日記をつけはじめました
ことしも、どうぞよろしくお願いします。 _KOSHIDA CLINIC by SKKY






IZUTSUYAさん 2016







2回目の北九州、井筒屋さんにお呼ばれしました。
公開制作In a Flowerscape、ライブペイント、WS、インスタレーションを。色のすること。


WSはおもしろかったのでまたやりたいな_混沌のなかの大好き_色のなかで色葉牡丹をつくります。
潜って わしゃわしゃ 発見 開放 規模、など。
思考と感触が混ざり合って。
お子さまも、女性のみなさんにも人気、また増殖してやりたいな。

公開制作は、野外の自然光のなかでできたら最高だな、と。


IZUTSUYAさん
ありがとうございました。





お次は、
京都のLAQUEさんのANNIUVERSARYにお呼ばれします。 公開制作の‘ In a Flowerscape’は、日ごろの感謝をこめましてLAQUEさんからお客さまへプレゼント○ということで、応募がはじまりました。 http://laque.3d-showcase.net/news_event/event/ironosurukoto.html 去年スパイラルさんからはじまったこの公開制作In a Flowerscapeは10箇所目に。ありがたい限りです ぜひふるって。お待ちしています!






water shooting

主役は台風のなつと秋のあいだ、
オセロだと、雨の勝ちかな。
つかの間の晴れ。






今日は、すてきな人たちと撮影。

わたしは‘いろ自身’にならせてもらえた記念日。

いろ自体になると、はるか遠くまで泳いで泳いでいけて、愛しいそなた(ひかり)にたくさん、惜しみなく、会えた。
そうそうこんなふうっていうところに。







DESIGNEASTの直前。
'種は、移動する。' 柳原照弘さんと種市のみなさんと、 満月のよる。

「還る」のことばにたどり着いたとき。
種市の奥津さんがお写真にしてくださっていました。ゆめのようだったけれど、ほんとうでした! 感動がたくさん。反省もたくさん、また励みに。 ありがとうございました。 http://www.organic-base.com/topic/tane/index.htm














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