道路の中央で ひれひれとビニール袋が舞っていて 走る車の狭間 間一髪のところで
おどけてるみたいだった
今 制作している Hair's Gallery HORIE さんでは
公開制作になっていて いつでも公開されているわけで
いつものように ああ、とか ぐぅぅ となった時に
でんぐり返りをして転げまわるわけにもいかない
ひとの空気の中で 本来以外の出来事が起きている中で
それらの気配を感じながら描いていると、
本当の意味で 描いているとゆうよりも 彩ってると感じます
スタッフの方や、お客さんと二言、三言交わすことで
しごとへの姿勢や仕草や行程をよこめで目撃することで
持ち合わせた色温度に足され 変化してる
いつもは、途中の絵はぜったい見せないし 見せるものじゃないと思ってた
未完だから
だから当然、途中のところで それやあれについてのそれを己以外の見解がなく水中散歩してる
今は、同じ水中でも くらげやウツボカツラやシークワサーやモンシロチョウに出逢って 発見する
電車のなかや会社 学校 魚の焼くにおいのするところや
ある空間に入ると その空間に順応するように そこの物語ができあがっているかのよう
かつて 学生のときバイトしてたスターバックスで サードプレイス を提供しよう
とゆう意識があり、それは 会社、学校 と 家 とは別の三つ目の場所をもつことで
それぞれがより鮮やかになるってゆうようなことで
例えばスタバの場合、かんたんなことばにすると コーヒーを飲んでリラックスできる空間に空気ができものがたりができているのかもしれない
Hair's Gallery HORIEさんのもつ空気やものがたりにあたりながら制作してると
ふつふつとそこのそれになり おもしろい 色の柔軟性に魅惑のちから
誰かが言った、自己表現は退屈です そとがわの無について語りたいのです とゆうわけではないけれど
道路のまんなかにいた ビニール袋みたいにひれひれしてしっかり感じたいと思った
もうすぐ1ヶ月が経つけど まだつづくよ、つづけるよ
どうなるか けんとうつかない
ワニやミンキークラゲに出逢うかもしれないし出逢わないかもしれない
永井ディレクターは フリーダムに!ってゆってくださるから フリーにダムして
色のついた壁をみて 「雲みたい」 ってゆうから
水がこおってもクロールできそうな気がした
がんばるぞ
公開制作とゆうことで 想いも公開してみます: